緑信号を渡る - どこのドイツだ!

在独歴4約年!思想の飴細工師が書き下ろす!

婚前契約3つの利点

今回話をするのは、婚前契約についてである。婚前契約をドイツ語でEhevertragといい、一般的に日本語では「夫婦財産契約」と訳される。ここでは、便宜上、夫婦財産契約と呼ぶ。また、厳密にはドイツの夫婦財産契約は結婚後にも結ぶことができることを補足しておく。

 

では、夫婦財産契約とは何か。「財産」と名がつくように、夫婦間での財産の取り決めである。

 

例えば、結婚前と後の財産についてはどう取り扱うか、共同の生活費をどのように負担するか、子供の養育費をどのような割合で負担をするかなどである。婚前から想像はあまりしないだろうが、子供がいた場合の親権の帰属や離婚時の財産分与についても規定する。もちろん、契約であるため、内容はそれぞれの夫婦による。

 

日本では、この夫婦財産契約は一般的ではない。契約成立の条件が煩雑な事と文化的な背景から、年間で数件程度(詳しくはリンク先参照)と言われている。

 

一方で、ドイツでは何と10組のカップルのうち4組(詳しくはリンク先参照)がこの財産契約を締結していると言われる。驚くべき割合である。

 

確かに、ドイツという国は法律と規則で出来ているような国である。しかし、結婚というある種神聖でロマンチックな場面でも法律が出てくるところが如何にもドイツらしい。また、夫婦財産契約は、ドイツ民法典によって、強固に保証されている。

 

ところで、何を隠そう、私は「夫婦財産契約」の経験者である。結果的に言えば、作成はしなかった。しかし、妻と結婚をする際に、「夫婦財産契約」を作成するかどうか尋ねられたものだ。以前のブログで少し話をしたが、私は大学時代に法学部であった。また、自身の重要な行動指針の一つは、「法的に正しいのか」である。

 

しかし、そんなシリぼうでさえ、婚姻前に妻からこのような契約書の話を提示されるのは、いささかショックであった。上記で述べたように、この契約書は最終的に、離婚時の取り決めを含んでいる。結婚前に離婚時を想像することは、何か私が信用されていない気がしたからだ。

 

財産契約作成の打診があった夜はいささか冷静ではなかったが、次の日に自分でその契約についてを調べ、その後、妻と相談することで、夫婦財産契約の利点について幾つか見つけることができた。それらをここで紹介したい。

 

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(2014年9月某日ヘッセン州某所にて 筆者撮影)

 

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ドイツで気をつけるべき仕草3つ

私、しりぼうは在独3年になった。ドイツでの生活がある程度長くなってくると、ドイツと日本の違いにわざわざ驚かなくなってくる。

 

もちろん、国が違えばすべてが違う。言語、文化、習慣、考え方など様々な面で違いがある。その中で、言語の難しさは言うまでもないし、すでにほかの記事で外国語習得の大変さは何度も述べている。

 

しかし、今回取り上げることは、言語ではなく、仕草についてだ。ドイツにはドイツ特有の仕草があり、日本には日本特有の仕草がある。どちらが、正しいとか優れているということではない。

 

仕草とは、単にその国で、当たり前になっている挙動の一つで、生活の一部になっているだけだ。

 

例えば、日本では、会釈やお辞儀を挨拶、お礼、謝罪など様々な場面で使用する。お辞儀を伴うことによって、その気持ちをより明確に表現することができる。

 

いやむしろ、お辞儀を伴わない謝罪など、謝罪の意を表しているように感じられない気さえする。逆に日本の文化を詳しく知らないドイツ人の前でお辞儀をしてもその意味は、あまり伝わらないだろう。むしろ、不思議に思われるかもしれない。

 

今回はそのような我々の行動や仕草に焦点を当てる。とりわけ、我々日本人にとって、少なくとも私にとって、当たり前に習慣になっている仕草だ。

 

しかも、それがドイツでは、不思議あるいはややもすれば奇異に映る仕草だ。

 

ちなみに、私の意見は、郷に入れば郷に従えだ。故に、ドイツに住むかぎりは、少なくともドイツ人の前では、日本特有の仕草は避けるべきだと考える。

 

なぜならば、すでに述べたようにそのような行動や仕草は理解されないからだ。また、仕草の中では、尊敬されないどころか、ただ馬鹿にされる可能性があるからだ。

 

なぜ、仕草を取り上げようと思ったか。きっかけは、外国に住むにあたって、語学や文化理解の重要性は説いても、仕草やジェズチャーの必要性を聞くのはまれであったからだ。

 

今回は、私の経験から自戒をこめて、日本人ありがちの仕草を紹介したい。

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(2013年3月某日 都内某所にて筆者撮影)

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外国語学習に関する3つのウソ

今回は外国語を勉強している際に、よく耳にすることを取り上げる。また、それが正しくないと指摘したい。

 
全く面白くも何とも無い無味乾燥な書き出しをする。近年、グローバル化が叫ばれている。企業の海外展開、外国人観光客の増加、英語教育の早期化などの話は特に真新たらしくはない。
 
まず、グローバル化の文脈で避けて通れない要素の一つは、英語だろう。なぜなら、グローバル化とは日本だけではなく他の国々との関わり合いが増すからだ。もちろん、多くの場合、コミュニケーションの基本になるのは、まず第一に英語だろう。その点は、あまり異論はないと思う。
 
それに従って、英語の重要性が高まる。メディアや巷では、英語力を伸ばすために様々な方法論で溢れている。駅前留学は既に古い言葉になりつつあり、Skypeを使ったオンライン英会話、格安のフィリピン留学、聞き流すだけのスピード○ーニング、YouTubeでの教材、街中で白人を見かけたら、とりあえず話しかけろ何て暴論もある。
 
私は、ドイツに暮らして3年になる。日々、ドイツ語を多かれ少なかれ勉強している。未だドイツ語力は発展途上のレベルだ。しかし、3年という学習歴で、言語の学習に対して幾ばくか意見を持っている。
 
そこで、今回は、外国語学習に関して、巷でたびたび耳にする言説を否定したい。いつも通り、これは私の実体験のみ基づくので、一般化はできないことを予め補足する。
 

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(2014年4月某日 埼玉県川口市にて 筆者撮影)

 

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お気に入りドイツ語の諺3つ

今回は、ドイツ語の諺を取り上げる。とりわけドイツ、ドイツ人らしい諺を紹介したい。なぜ、諺なのか。それは、諺からある種の国民性を見つけることができそうだからだ。

もちろん、ただ諺だけで一般的なドイツ人の考えを導き出せると言うのは、いささか早計である。しかし、ある程度の考え方や文化を垣間見ることはできる。それは日本語でも同じであろう。例えば、「石の上にも三年」と聞けば、主張や変革よりも、我慢あるいは忍耐が、一般的な日本人にとって重要な価値観だと言えるだろう。
 
また、諺の場合、数年前に生まれたのではなく、数十年、100年、あるいは1000年もの長い時を経て、未だに使われている表現であることが多い。時間という競争の中を生き抜いた表現には、未だに使われ続けるだけの一定の合理的な理由があると考えるのが普通だろう。
 
それ故、今回ドイツ語の諺を取り上げる。それらを通じて、ドイツやドイツの国民性を紹介できればと考えている。
 
ブログを書くにあたって、ドイツ語学習者でなくとも諺を通してドイツ人の考え方を少しでも理解できるよう努めた。それでは、私、シリぼうお気に入りの諺を3つ紹介する。
 

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(2012年12月某日 フランクフルトにて 筆者撮影)
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私の外国語が聞き返される3つの理由

今回は、外国語学習者であれば必ず直面する問題を取り上げる。すばり、私の英語あるいはドイツ語が聞き返される理由である。

 
外国語を話していて、落ち込む事をすべて挙げれば、一冊の本でも書けそうだが、その中でも話した事を「聞き返される」というのは、辛い。
 
勇気を出して外国語を話してみた。間違いを言わないように事前に頭で文章を組み立てた。それにもかかわらず、自分の話していることを何度も聞き返された時、「ああ、私の英語はまだまだ下手くそだからだ。」と落胆することもあろう。
 
とは言っても、読み手の中には、納得のいかない妙な経験をした人もいるだろう。
 
例えば、あなたは、このような事を思った事があるかもしれない。この人は、私より文法がぐちゃぐちゃで、下手くそな英語を使うのにどうして、聞き返されることが、私より少ないのだろうか、と。
 
しかし、万事問題あれば、原因あり。当たり前だが、聞き返されるには何かしらの理由がある。
 
今回は、そのような謎を少しでも解明したい。
 
今から取り上げる3つの理由は、すべて私の経験に基づくものである。しかし、英語、ドイツ語問わず、外国語を話す時、一般に当てはまると思われる。むろん、真偽については、一切責任を負わないので、異論があれば、コメントをもらえれば幸いである。
 

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 (2012年3月某日 マレーシアにて 筆者撮影)

私の世界史の歴史(前編)

私シリぼうは世界史が大好きだ。世界史といえば、高校で必修科目の一つであるが、好きとか得意であるという人間にはあまり会った事がない。とはいっても、高校の授業科目についてことさら、何が得意で好きだという話は一般的に耳にしないのだが。

 
事実は小説よりも奇なり。
 
これは、現実に起こる出来事は、作られた物語の中で起こることよりも不思議で面白いという意味だ。では、歴史は事実の積み重ねとすれば、歴史はより不思議で面白いものとなるはずだ。
 
今回は、私の世界史の歴史を紹介する。どのように私が、世界史に出会い、興味を持つようになったか説明し、その後、世界史の何が私にとって面白いのかを取り挙げたい。また、長くなるので、前編と後編に分けた。まずは、前編を述べる。
 

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(2012年12月某日 フランクフルト行き航空機機内にて 筆者撮影)

シリぼう的ドイツ3大スイーツ

今回は、ドイツスイーツに焦点を当てる。ドイツの食べ物と聞くと、ジャガイモ、ソーセージ、ビールなどを思い浮かべる人は少なくないだろう。スイーツならイタリアでは?などと想像するかもしれない。何を隠そう、渡独をするまでは、私もその一人だった。

 
しかし、ドイツにもイタリアとは異なるが、確固たるコーヒー文化が存在する。※1 もちろん、コーヒーのお共をするのは、いつでもどこの国でも甘い食べ物だ。ドイツでは至るところに、日本とは比べられない程、たくさんのカフェや製菓店※2がある。
 
そんな環境下で、様々な店を訪ね歩いた。在独3年を経とうとする今、何時でも食べたいスイーツがある。甘党を自称するシリぼうが、悩みに悩んでを選び抜いた。今ここに、独断と偏見だけで、ドイツ3大スイーツを発表する。

留学失敗3つの原因

今回は留学の失敗について綴ろうと思う。
 
先ずは、少し定義をする。
 
ここでの留学とは、外国語の習得を目指し、一定の期間日本から離れて、外国に住むことを意味する。
 
故に、留学の成功とは、当初の目的をある程度達成し、語学力が向上したことを意味する。逆に、留学の失敗とは、語学力が向上しなかったあるい語学力向上という目的を途中で放棄してしまうことを意味する。
 
本題に入る前に、なぜこの話題を取り上げることを思いついたのか説明をしたい。
 
結論から言おう。私が留学に失敗したからだ。私は、正真正銘の留学失敗体験者である。既に述べた定義の通り、現地生活をしたにも関わらず、言語力は伸びなかった。そして、学習を放棄した。
 
ところで、個人的には、私は他人の留学失敗話をあまり聞いたことがない。一方で、留学の成功体験は声高にたびたび耳にする。語学留学のパンフレットや留学帰りの「先輩」が、いかに現地生活が有意義なものであったかを説く。
 
しかし、冷静に考えてみれば、成功した人がいれば、失敗をした人もいるはずである。当たり前の事だが、留学を勧める仲介会社や留学帰りの学生懇親会などで、失敗した人間が呼ばれるはずがなかろう。あるいは後ろめたさを持ち、失敗した人間が、そんな華やかな機会に自ら進んで参加するはずがない。
 
そこでは、私は自身の体験に基づいて、留学経験者に現地生活について、もう少し詳しく尋ねてみた。また、こちらドイツに住んでいながら、語学力が向上しない人の特徴を観察した。するといくつかの共通する特徴を見つけ出すことができた。
 
以下では、留学失敗の特徴を述べる。
 

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(2011年9月某日 ニューヨーク・ウォール街にて 筆者撮影)

文章を書くときに気をつけていること3点

私シリぼうは、文章を書くことが好きである。大学院では、ジャーナリズムを専攻にしていた。修士論文で選挙時の新聞報道を内容分析し、約700~800個あまりの記事を分析した。また、学生時代に読んだ数々の本を読んだが、本がぎっしりと詰まった段ボール箱の壁が、実家に未だに聳え立っている※1。

 

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(2014年7月頃 フランクフルト自宅にて、筆者撮影)

 
以上の例でもって、自分の好みを証明するには、十分ではない。しかし、読む、書くの違いはあるにせよ、文字に対して全く読めない!書けない!というアレルギーは無いとといえるだろう。
 
とはいっても、卒業後、製造業の営業職という大学院の専門とは全く関係の無い畑に向かうのである。だが、それでも業務上、メールを書き、他者の資料等を読むにつけて、常に文章に対して意識していることがあった。具体的に言えば、文章を書くときに気をつけていることがある。
 
さて、以下では、題名の通り、何に気をつけているのか3点述べる。