留学失敗3つの原因
今回は留学の失敗について綴ろうと思う。
先ずは、少し定義をする。
ここでの留学とは、外国語の習得を目指し、一定の期間日本から離れて、外国に住むことを意味する。
故に、留学の成功とは、当初の目的をある程度達成し、語学力が向 上したことを意味する。逆に、留学の失敗とは、語学力が向上しな かったあるい語学力向上という目的を途中で放棄してしまうことを 意味する。
本題に入る前に、なぜこの話題を取り上げることを思いついたのか 説明をしたい。
結論から言おう。私が留学に失敗したからだ。私は、正真正銘の留学失敗体験 者である。既に述べた定義の通り、現地生活をしたにも関わらず、 言語力は伸びなかった。そして、学習を放棄した。
ところで、個人的には、私は他人の留学失敗話をあまり聞いたことがな い。一方で、留学の成功体験は声高にたびたび耳にする。語学留学 のパンフレットや留学帰りの「先輩」が、いかに現地生活が有意義な ものであったかを説く。
しかし、冷静に考えてみれば、成功した人がいれば、失敗をした人 もいるはずである。当たり前の事だが、留学を勧める仲介会社や留 学帰りの学生懇親会などで、失敗した人間が呼ばれるはずがなかろ う。あるいは後ろめたさを持ち、失敗した人間が、そんな華やかな 機会に自ら進んで参加するはずがない。
そこでは、私は自身の体験に基づいて、留学経験者に現地生活につ いて、もう少し詳しく尋ねてみた。また、こちらドイツに住んでい ながら、語学力が向上しない人の特徴を観察した。するといくつか の共通する特徴を見つけ出すことができた。
以下では、留学失敗の特徴を述べる。
(2011年9月某日 ニューヨーク・ウォール街にて 筆者撮影)
1. 日本人とつるむ
海外到着後、一定の期間はもしかすると日本人と出会わず、すべて 一人で問題解決をし、現地人のみと生活をしてやるっと意気込んで いるかもしれない。しかし、時が経つにつれて、理由は多岐に渡る だろうが、日本人の知り合いが一人、二人、三人、日本人グループ での行動と雪だるま式に増えていく。
そして、いつからかすべての生活を現地にいる日本人と一緒に過ご すようになる。学校、買い物、食事、旅行、勉強、趣味などすべて の生活面で、海外に住んでいるにもかかわらず、現地人(日本人) とすごす。
母語というコミュニケーションの容易から、居心地の良さを感じる 一方で、なぜ私はここ(海外)にいるのだろうか、と呆然とするか もしれない。しかし、日本人とつるめばつるむほど、抜け出せなくなる。
負のサイクル:コミュニケーション楽⇒英語力低下⇒外国人より日本人の方が気楽⇒更に英語 力低下⇒ますます日本人コミュニティへ埋没
ある時、日本人コミュニティから抜け出そうと強く誓う!夜、まだ 慣れない固いベッドの中で、明日こそは!と決意を固めることもあろう。
しかし、翌日、学校で再び日本人に話しかけられれば、否応なしに「い つもの生活」が始まる。何よりも、日本人コミュニティから離れ、 不十分な語学力で他の出来上がっている外国人のグループに割り込 んでいくパワーがそこにあるだろうか。
白状しよう。私は無かった。心が折れていた。
少し余談であるが、留学以外の目的で、海外にいる人間はごまんと いる。仕事、研究、とりあえず海外に行ってみたかったなど、留学 以外の様々な目的がある。そして、究極に言えば、海外で生活する 明確な目的も持つ必要もない。
ここで言いたかったことは、留学目的で海外に来た場合、すべての 生活面で日本人と過ごした場合、当然、語学力の向上は望みにくい ということだ。故に、現地で、日本人と出会うことを全く否定して いない。むしろ、置かれている境遇の類似性から、より深く理解し 合える人間関係を築ける可能性が高い。
2. 準備不足
これは留学先に向かう前に、言語力をなるべく日本で磨こうとしな いことを意味する。
私の場合、米国に1ヶ月間短期留学をしたが、英語に関して余分な 勉強無しで、渡米した。単語を復習する、最低限の基本表現を確認 する、リスニング教材を買っておくなど、渡米までありとあらゆる ことができた。スバリ言えば、私は、全く何もしなかった。現地ア メリカで覚えればよいと思っていた。
しかし、米国での生活が始まるやいな、英語力不足による問題がす ぐに露呈し始めた。
語学学校の授業、買い物、旅行、交友関係などありとあらゆる場面 である。
問題は、あまりにも一度に負荷がかかり過ぎて、当初の目的(語学 力の向上)から逃げてしまうことである。その時、取りうる手段は 、言わずもがな「1.日本人とつるむ」である。また、彼らも私と 同じく留学の準備をしていない場合、この辛い(自ら招いた)境遇を共感できる分 、タチが悪い。
そして、「1.日本人とつるむ」で述べた負のサイクルに嵌ってゆくのである。
3. 現地神話
留学失敗の最後特徴は、現地神話を信じてしまうことである。
まずは、現地神話を定義する。
現地神話とは、自分の学んでいる言語が、母語として話されている国に住めば、 自ずとその言語力が上昇することを指す。
仮に、英語を上手く話せるようになりたいのであれば、英語が母語として話されている国、例えば、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージランド等に住めば、自動的に英語の能力が向上することを意味する。
結論から言おう。成人しているのであれば、この神話は当てはまらない。科学的根拠は、他のブログや研究に譲るとしても、16歳ぐらいを境にこの神話はただの夢物語となるだろう。
確かに、あなたがまだ5歳や6歳の小さな子供であれば、アメリカ人に囲まれた現地の幼稚園にポンっと放り込まれることで、あっという間に英語を習得することができるかもしれない。しかし、既に述べた通り、あなたが成人しているのであれば、自発的な学習※1無くして、外国語の習得はありえない。
私にはこんなエピソードがある。私は以前、某会社のコールセンターで派遣社員をしていたことがあった。私と同時に入社した20代の女性がいた。彼女が言うには、経歴はこうだった。
私は、オーストラリアにワーキングホリデーを含めて2年半ほど住んで、留学していました。英語は、業務上全く問題ありません。英語対応可能です。
さてある日、日本語が話せない英語で対応する必要のある外国人のお客さんから入電があった。ここで、上司から彼女は、このお客さんを対応するよう求められた。しかし、事もあろうか、何と「できません」と拒否をしてしまった。
私はこの時ほど、この人の留学とは何だったんだろうかと呆気にとられたことはなかった。留学とは遊学とも嘲笑される時があるが、そんな言葉がぴったりと嵌まらざるを得ない出来事だった。
では、私の話に戻れば、私が初めてアメリカに行ったとき、まさに私は現地神話を抱いていた。そして、この現地神話を抱くことよってもたらされる最大の不幸とは、既に述べた「2.準備不足」を招くことである。
言い換えれば、日本を発つ前に外国語の準備をしない人間は、多かれ少なかれこの「現地神話」を信じてるからではないかと思う。外国語はそれが話されている国で直接学べばよい、そしてそれが、最も効率的だという思い込みだ。
もちろん、日本を発つ前に完全な準備など永遠にできない。しかし、「現地神話」を信じるがゆえに、せめて、単語帳を買う、基本事項だけ確認する、毎日1フレーズでもよいから暗記をしようとする等、そんなことでさえ日本ですることを怠ってしまうのである。
いや、人間はそこまで馬鹿ではないかもしれない。成人したカチカチの頭が、海外に住んだだけで、外国語を自動的に習得できるなんて全く合理的な話ではない。デンマークの偉大なる哲学者キルケゴールの言葉を借りれば、「不条理なるゆえに、我信ず」の境地だろうか。
頭のどこかで、嘘だと分かっていても、そんな突拍子もない神話を信じて、厳しい現実から少し目を逸らして、渡航前の僅かばかりの時を「留学に行く」の気持ちに酔ってみたいだけではないか。
現地とは、事前に入念な準備をし、 言語を学びたいという意思と実際に学ぶ行為を伴う人間にのみ、 最適の環境になりうる。そして、言語を学びたいのであれば、それは場所は関係無いと言っておこう。
最後にまとめると、留学失敗の危険性は、この1~3が互いに分かちがたく結びついている。私は白状する。私は1~3すべてどんぴしゃりで当てはまった。渡米の為に、高いお金も支払った。ただ、それらはお金と時間の無駄であったのだろうか。
否、それを全く無駄には思わない。当然、その中で得たものがあり、私はその失敗を認めて、次はどうするべきか考え抜いた。また、有り体に言えば、短いながらも留学から帰って、「視野が広がった」と心から言える。ここでは、この失敗談をつまびらかにすることで、少しでも多くの人に有意義な留学ができるよう心から祈っている。
※1 自発的な学習:単語集や用語集を購入して、日々単語を学習復習する。