緑信号を渡る - どこのドイツだ!

在独歴約3年!思想の飴細工師が書き下ろす!

私の世界史の歴史(前編)

私シリぼうは世界史が大好きだ。世界史といえば、高校で必修科目の一つであるが、好きとか得意であるという人間にはあまり会った事がない。とはいっても、高校の授業科目についてことさら、何が得意で好きだという話は一般的に耳にしないのだが。

 
事実は小説よりも奇なり。
 
これは、現実に起こる出来事は、作られた物語の中で起こることよりも不思議で面白いという意味だ。では、歴史は事実の積み重ねとすれば、歴史はより不思議で面白いものとなるはずだ。
 
今回は、私の世界史の歴史を紹介する。どのように私が、世界史に出会い、興味を持つようになったか説明し、その後、世界史の何が私にとって面白いのかを取り挙げたい。また、長くなるので、前編と後編に分けた。まずは、前編を述べる。
 

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(2012年12月某日 フランクフルト行き航空機機内にて 筆者撮影)
 

 

世界史との出会い
私の世界史との出会いは、高校1年生の時である。現在の学習指導要領は詳しくは知らないが、かつて私が高校生だった当時、世界史は高校卒業に必要な必修科目の一つだった。一時期、世界史未修高校があり、世間を賑わせたが、私の高校は定め通り確実に授業を実施していた。
 
私の高校の場合、高校1年生で必修科目として世界史を受けることになっていた。授業内容であるが、確かに、石器時代は流石に中学校の復習の感は否めなかったが、人類の文明が始まると、急激に面白くなった。
 
その頃、毎度の授業が楽しみで、趣味は世界史だと言うぐらい世界史が好きになっていった。例えば、授業とは関係無く、時間があれば、山川出版社の世界史用語集※1や世界史の資料集をボロボロになるまで読んでいた。
 
のちに社会人になったときにも、どこに引っ越ししたとしても、必ず世界史の資料集は一緒に持って行っていた。高校生の当時、資料集の何ページにどのような内容が記載されているのかほぼ記憶していたと思う。あるクラスメイトに「世界史辞書」と呼ばれたこともあった。もちろん、半分皮肉ではあろうが、私の自尊心をくすぐられたのも事実だ。
 
ちなみに私の担任は、くしくも世界史の教師であった。大学受験を控えた高3夏の進路指導で、こう言われたのを克明に覚えている。「世界史教師としては嬉しい限りだが、シリぼう君、大学受験の為に他の教科の勉強はできないか」と。
 
確かに、校内の定期試験では常にトップ争いだったし、事実、センター試験では、世界史100点満点を獲得した。
 
しかし、肝心の大学受験は、担任の予想が見事に的中し、元来の苦手科目であった国語が大幅に足を引っ張り、他の科目も特に芳しくなかった。世界史風にいえば、他教科で国語の「失地回復」をできなかった。

その結果、第一志望の大学を諦め地元の大学へ進むことになる。この当たりのストーリーはまた別の機会を設ける。

 
文理選択
ここで、再び話を戻すと、高校1年生の時、世界史は学習指導要領上必修科目だった。授業時間は、週に50分×2回であり、休講や進捗状況の悪い他の授業と取り替えが行われたとき、一人心の中で、激怒していたものだ。とはいえども、高1の一学期を無事に終え、夏休みは資料集で古代ローマ帝国が触れられている箇所をベットに転がりながら読んでいた。
 
しかし、高1の後半には、文理選択が待っていた。私の高校の場合、理系を選択すると、世界史を高2以降、学校で習い続けることができなかったのだ。すなわち、世界史を習い続けたい場合、制度上、文系を選択するしかない。
 
人生は選択の連続だ。ときに人生は、16歳という未成年に過酷な決断を迫るのだ。
 
この時、私は非常に悩んだ。もちろん、理系科目も嫌いではなかった。当時の数学は嫌いではなかったし、既に学習中の化学の成績も悪くはなかった。また、将来、大学を出て飯を食うなら理系かなと漠然と考えていた。どこかの(悪い大人から)仕入れた言葉であろうが、「食いっぱぐれのない」が16歳の心の中で木霊していた。
 
それでも、私は、世界史をすべて習い終えずに卒業することは想像出来なかった。なぜならば、根本的に、高校生活自体は不満そのものだった。授業は、世界史のみ興味があり、世界史を「好きこそ物の上手なれ」だとしたら、英語のグラマーが「下手の横好き」だった。あとの科目は、全く勉強をせず※2「一人ストライキ」を敢行した。
 
高校生活で最も煩わしかった事は、遠足、学園祭、スポーツ大会などのクラスイベントで、周期的に来るそれらのイベントにいつも辟易としていた。この無駄な時間は何なんだと。
 
時効だと思うので言っておくと、スポーツ大会では、自分のクラスが出場している試合の応援をすっぽかして、しばしば将棋部の和室で横になっていたのを告白しておこう。ちなみに、将棋部の隣の和室は茶道部だった。当然、部活上、湯沸かしポットがあり、それをちょいと拝借して、カップ焼きそばを食べたのはいい思い出である。
 
また、真夏のクソ暑い中で催される大会の場合、学校を抜け出し、学校のご近所に住んでいる友人宅で、クーラーのついた部屋で大会が終わるまで休んでいた。もちろん、ホームルームには再び教室に戻ってくる「品行方正」な学生だった。
 
しかし、風邪などで熱を出すと、当時のクラスイベントが悪夢として今でも再び私の前に現れる。
 
さて高校生活は以上述べた通りである。辛うじて私の背中を学校に押しているのは、世界史と英語のグラマーの両輪で、仮に理系に進み世界史を捨てたなら、「下手な横好き」の片輪走行では一瞬にして私の高校生活が、瓦解することは、容易に想像できた。
 
こんな心の声が聞こえた。
 
汝は飯の喰えぬに文系の道に進むのか。理系に進めば、工学、薬学、医学で必ず食いっぱぐれはないぞ。理系を選択しても、文系大学は受験できる。されど、逆は真ならず。それでも文系を選ぶのであれば、それは茨の道だろう。
 
しかし、私の世界史熱は暑い夏休みを通じて、更に高まっていった。
 
否!俺はローマ進撃の為(ここでは、世界史選択の意味)に、武装解除(理系選択)などせぬ!
 
高校1年生夏休み明けの文理選択のある日、私は遂にルビコン川を渡った。
 
 
後編へ続く
 
※1 山川出版社の世界史用語集:世界史マニアには必携の書。バイブルである。
※2 全く勉強をしない:当時高校では、全く勉強をしないことを「ノー(No)勉」と言っていた。試験前によく使われる言葉だ。