緑信号を渡る - どこのドイツだ!

在独歴約3年!思想の飴細工師が書き下ろす!

私の世界史の歴史(後編)

ここでは世界史の面白さについて話をする。前編はこちら。

 

f:id:midorishingo:20170630032300j:plain

(2011年12月某日 ドレスデン聖母教会前にて 筆者撮影)
 

 

 
スケールの大きさ
世界史の面白さは、扱う対象の大きさであろう。もちろん、日本史も高校3年間で、十分に学習するに値する科目だが、私は世界史のスケールに感動していた。

すでに述べた通り、石器時代が終わり文明が始まると面白くなった。なぜなら、それ以降、我々の現代生活にもつながる歴史的な事件が起こり続けるからだ。

例えば、紀元前1274年、史上初めて鉄製武器を用いたヒッタイトが、古代エジプトを破る。その戦争終結後、世界最古の国際条約を締結する。

このような「人類史上初めて」あるいは「世界最古の」というまさにの歴史のターニングポイントに触れるたび、興奮したものだ。これが、世界史の醍醐味の一つだろう。
 

世界史の中の日本
日本を世界史の文脈で日本を捉えることで、より深く日本の歴史を知ることができる。

例えば、フランシスコ・ザビエルを例に取り上げる。ザビエルは、ポルトガル王の命を受け、日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師とされる。カトリックのイエズス会宣教師として、鹿児島に上陸し西日本の各地を伝道した。

しかし、なぜポルトガル王なのか、カトリックなのかそういった疑問は日本史の枠組みでは学習する必要はない。私の当時の直観では、キリスト教の布教の為に、わざわざ海外にまで出るのはカトリックではない。むしろ、国内の圧政から逃れ、信仰の自由を求めたプロテスタントではないのかと予想していた。

しかし、世界史という文脈で見ると異なる。見方はこうだ。

一つ目は、15世紀末、スペインは、イスラーム勢力をヨーロッパ大陸から放逐する。これが俗に言う、イスラーム勢力からヨーロッパを取り戻す運動、レコンキスタである。今では、考えられないが、718年から1492年までスペインを含むイベリア半島は、イスラーム国家であった。
 
レコンキスタを完了した後、スペインはいよいよ海外展開を始める。所謂、「大航海時代」の始まりだ。アフリカ北岸のジブラルタル海峡から始まり、アフリカ大陸は当然ごとく、アメリカ大陸、アジアへと植民地の手を伸ばしていく。

しかし、問題になったのは、当時スペインの最大のライバル国であったポルトガルとの「新世界」争奪戦だった。カトリック両国の植民地争いが激化する。そこで、この争いの調停を買って出たのは、カトリック教会の主であるローマ教皇であった。
 
ローマ教皇仲介の下、どのようにスペインとポルトガルは、「新世界」を植民地にするべきかを決定した。その結果、世界はスペインとポルトガルの「縄張り」が確定し、世界は両国によって二分割された。なんと傲慢な話であろうか。

その世界分割案が、世界史で習う「トルデシリャス条約」と「サラゴザ条約」である。その世界分割条約の中で、日本はポルトガルの「取り分」となっていたのだ。もちろん、日本はそんなことを露知らずに。
 
これが一つ目の視点である。

二つ目は、当時ヨーロッパは宗教改革の嵐の中であった。発端は、ローマ教皇レオ10世が免罪符(贖宥状)を発売したことである。人々は、金銭による罪の救済に異議を唱え、日頃のカトリック教会への堕落ぶりに抵抗をした示した。それらの人々をプロテスタント(新教)と呼ぶ。それら一連の運動が「宗教改革」である。

しかし、日本史の文脈では、あまり見られないが、実は新教(プロテスタント)の勢力拡大を恐れたカトリック教会は、自己改革を断行する。「宗教改革」に対抗したカトリック側の刷新運動ということで、「対抗宗教改革」や「反宗教改革」と呼ばれる。
 
世界史の窓さんから「対抗宗教改革」の説明を一部抜粋をする。
 
ルターやカルヴァンなどの宗教改革によって登場した新教徒=プロテスタントの運動が強大となったことに危機感を持ったローマ教皇側が、プロテスタントを弾圧するだけでなく、カトリックの教皇庁や教会のあり方を改める運動を起こした。・・・(中略)・・・また、対抗宗教改革の先頭に立って活動したのがイエズス会で、世界各地に布教のため多くのキリスト教宣教師を派遣した。

  • イスラーム勢力放逐
  • 大航海時代の幕開け
  • スペイン、ポルトガルによる「新世界」分割
  • 対抗宗教改革
  • 海外信徒の獲得

そのような文脈を知っていると、ポルトガル王の命を受けたザビエルの訪日をより深く捉えることができよう。そして、なぜカトリックなのかという私の疑問にも答えることができる。
 
 
厨二病的用語
もちろん、世界史の魅力の一つは、中二病的用語の数々であろう。
 
西洋史であれば、コンスタンティヌス帝、トゥール=ポワティエ間の戦い、プリマス到着、ウィーン体制などであり、東洋史であれば、前漢の武帝、靖難の変、三藩の乱、洋務運動など例を挙げればきりがない。
 
日本史では聞き慣れない何か真新しさを感じていたのかもしれない。
 
確かに、用語がカッコイイからというのは、厨二病的な発想である。しかし、音の響きが良いと理由で好きな音楽もあろう。好奇心とは色々な間口があってよいというのが、私の持論だ。
 
 
社会科学との結合
最後に、この世界史教養は大学入学後に思わぬ副産物をもたらす。結論から言えば、社会科学系学問と非常に相性が良いということだ。おそらく人文科学でも同様であろう。
 
今、私たちが接してる社会科学系の学問とは、大部分がヨーロッパ由来の知恵だ。もちろん、言わずもがな大学自体が、ヨーロッパ由来の伝統的な組織だ。
 
私は大学時代に法学を専攻にしていた。当時、法律の成り立ちを理解する上では歴史は避けて通れなかった。
 
例えば、違憲立法審査権を理解するために、イギリス法の法の支配、モンテスキューの三権分立、アメリカ独立戦争、建国の父たちが書いたアメリカの設計図「フェデラリスト」などの歴史的背景なくして、説明できない。単に判例として、「マーベリー対マディソン事件」を知るだけでは、何か物足りない。
 
おそらく、経済学や政治学でも同様であろう。社会科学をより深く理解するのに、世界史の教養があって損は無い。
 
しかし、この手の話をした時に、たびたびこういう質問をされることがある。
それが人生の何の役に立つのか、と。
 
結論から言えば、知らぬ!だ。
 
私が言いたいことは、大学とは学問を修める場所だとすれば、学問をより深める為に、世界史が必要である。逆に問えば、学生時代を有意義に過ごそうとして何が悪いのか。
 
私は学ぶこと自体に目的はいらないと思う。学ぶこと自体が楽しいなら、それ以上の理由はいらないだろう。
 
プロ志望でなくても、野球が好きで、家の庭でバットの素振りをしている人間に、それが人生の何になるかなど問うべきでない。そのような問をお節介と呼ぶ。
 
学問でも一般的な勉強でも同じだ。深く理解することが楽しくて、その為に歴史が好きなら、それでいいではないかと。加えて述べれば、それが特段に得意でなくてもよい。
 
 
以上が、私の世界史の歴史である。高校時代から始まり、今でもある程度は記憶している。世界史と言えども特に西洋史が好きであった。
 
ところで、現在、ヨーロッパの中央ドイツ・フランクフルトに住んでいる。聖パウロ教会の前を通るたび、この教会で、あの「フランクフルト国民会議」が開かれ、右から左までヨーロッパ中の思想家、著名人が一度に会したのであろうことを想像すると興奮するのである。特に無政府主義者のバクーニンまで参加していたことを考えると瓦解して当然だなとふと冷静にもなるのである。