緑信号を渡る - どこのドイツだ!

在独歴約3年!思想の飴細工師が書き下ろす!

徒然なる育児日記

日進月歩

 

10か月になる娘は、ハイハイを自分のものとしている。今は、とにかくつかまり立ちにご執心だ。しかし、その様子を見ていた時、ふとこう思うのである。

 

「もしかすると、歩行は生まれながらの、本能ではなく、誰かに教わる学習ではないのか」と。

 

というのは、食べること、話すこと、遊ぶことなどはすべて両親や周りの大人たちがすることを見て、子供は、真似る。そして、彼らの行動を自分のものにしていっている。であるならば、立つことや歩くことも、本能的というより、大人の行動を真似ようとするがゆえに、つかまり立ちや、歩行を試みるのではないか。

 

生まれて間もなくすぐに馬は自力で立ち、走るのと同様に、人間の歩行も誰からも教えられるのではなく、「自然と」歩けるようになる、と言われることがある。しかし、自分の子供の様子を見る限り、私はそのような本能論には与しない。

 

とはいえ、現代においてこの仮説を科学的に証明することは、ハードルが高い。それは人道的な理由からである。もし、この仮説「人の歩行は、先天的ではなく後天的に得られる」を証明するのであれば、サンプルとして無垢な赤子を必要とするからである。

 

そんな時、世界史で登場するとある人物を思い出した。第五回十字軍を率いて、戦闘をせずエルサレムを奪還したフリードリヒ2世※である。彼は、閉鎖的な中世のキリスト教的価値観に縛られず、開放的な人柄であったとされる。

 

とりわけ、好奇心旺盛な性格で、「人は元来どの言語を話すのであろうか」の疑問を持った。答えを知るために、生まれたばかりの赤子を集め、一切の言語を聞かせず、話しかけずに育てた。結果は、すぐに死んでしまったそうだ。

 

好奇心は猫だけでなく、赤子をも殺す、か。

 

 

ボタンとバラ

 

昨日、ドイツで初めて車を運転した。車がマツダ製とはいえ、すべてがドイツ語表記であった。また、日本の車とは仕様が異なり、日本にはない機能やボタンが運転席に散りばめられていた。

 

そこで、運転をする前に、ありとあらゆるボタンを押して、「これを押すと何が起こるのか」を確かめた。約20分を要した。試行錯誤を繰り返す中、必要なもの、不要なもの、運転中は押すべきでないもの、走行前に確認すべきものをある程度、把握することができた。

 

ボタンを押しまくっている自分の姿を後で思い返すと、これはまさに赤子、子供の本質を表していることに気づいた。

 

自分の子供を見るにつけ、「何て、この子は気がそぞろで、一つのことに集中せず、ありとあらゆるものを触れたり、試みようとするのか」の疑問がしばしば湧いてくる。

 

そのような疑問に対して、「大人には子供の不規則な行為を理解できない。しかし、それ故に、子供を見ることは楽しい」と、言う人もいる。

 

しかし、それは私の疑問に対する対処法であって、回答ではない。

 

思うに、子供と大人の本質は変わらない。それは、慣れない車の中で、自身が無数のボタンと格闘していた「何が起こるのだろうか」の動作確認から答えは導かれる。

 

不慣れな車の動作確認と見知らぬ道具や世界に興味を持って学習をしていく子供と、何ら違いはないからである。

 

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(2018年1月 ライン川ちかくにて 筆者撮影)

 

※フリードリヒ2世:

彼の略歴を「世界史の窓」さんから紹介する。

フリードリヒ1世(赤髭王)の孫に当たり、母がシチリア王女であったのでシチリア島で生まれた。幼時に父が死にローマ教皇インノケンティウス3世を後見人として育つ。成人して1212年にドイツ王、ついで1220年に神聖ローマ皇帝となる。彼は9年間ドイツに滞在しただけで、ほとんどをシチリアの王宮パレルモで過ごす。イタリア名ではフェデリーコ2世という。(中略)

このシュタウフェン朝のシチリア王国は、イタリア・ノルマン・ドイツ・ビザンツ・イスラームの要素が混在した国際的な環境があり、彼自身もアラビア語も含め9カ国語に通じ、動物学者でもあり、文芸を保護し、ナポリ大学を創建するなど、開明的な文化人であった。また、シチリア王国は官僚制度が整備され、貨幣制の整備が進むなどの優れた面を持ち、その合理的な政策で彼を「最初の近代的人間」(ブルクハルト)と評価されている。