私の学歴 ~第三章:脱獄計画~
前回「私の学歴 ~第二章:獄中生活~」の続きである。
大学を変える。大胆であるが、シンプルな解決方法である。
一般論として、獄中生活に嫌気がさした者はとるべき行動は、
私しりぼうの大学生活もまさに同じであり、大学卒業という形で「刑期を終える」か、すぐさま「脱獄」かと二択であった。そして、私は即時脱獄を選択した。
もちろん、もしかしたら他の可能性や手段もあったかもしれない。 しかし、当時のしりぼうは、そこまで知恵も無かったし、また、 他の可能性を考えることは、あえてしなかった。
というのは、他の可能性を考えることは、「 大学を変えるしかない」 という手段に根本的な疑問をもたらすことになるからだ。
自分の取ろうとしている手段に疑問抱くことは、 力強く目標に向かって突き進む情熱に水を差すことになる。
結果、決心がぐらつきかねないと思ったからだ。
極論とは他の可能性を意図的に排除することによって、 その極論の価値は高まる。
極端な考えとは、 やはり非論理的要素で成り立っていることをのちのち身をもって理 解した。
前回、登場したヴィルツシャフト氏についてだが、彼には私の「 脱獄計画」を詳らかに披露をした。私の記憶が正しければ、 ステーキハウスのブロンコビリーでの食事をした時であった。
世界史を愛してやまなかったしりぼうであったが、 自分史にとっては、キャンプデービッド会談より「 ブロンコビリー会談」の方が遥かに重要であった。
肉を頬張りながら、俺は絶対に脱獄してやる! と声を荒らげていたのを覚えている― この発言はかなり脚色している。
脱獄手段としては、スタンダードである。再受験であった。すなわち、再び、センター試験を受けた、大学二次試験を受ける。 なぜならば、最短で来年の春には別の大学に入っているからだ。
すべきことが決まったからには行動は早かった。 5月末ある日、大学の授業を終えるや否すぐさま駅前の大型書店に向かった。なぜならば、地元国立に受かった段階でほとんどの参考書を捨ててしまい、再度買い揃える必要があったからだ。
当時していた家庭教師と塾の初任給をすべてはたいて、参考書を買い集め、再受験の準備を進めていった。
ちなみに私しりぼうは人に相談をしない。 ほとんどが決心をしたあと報告をするだけである。 当時からその性格が始まったと思う。
両親に対しても同様である。両親に再受験の話をしたときは、決心をして参考書の買い終えた後であった。
詳しい内容は覚えていないが、両親には「今の大学を辞めたいと思う」と切り出したと思う。色々な話の末、両親と同意したことは以下のようなことだった。
条件1:再受験は応援するが、今の国立大学には席を置く=退学しない(仮面浪人)
条件2:再受験に失敗した場合、二年目からは今の大学に通い続け卒業をする
その後、当時の彼女にも再受験の話をし、無事に了解を取り付けた。条件は、当時は県を跨いだ遠距離恋愛であったので、「再受験先の大学は、今の彼女の住む県の某旧帝大とする」であった。であれば、両者願ったりであるからだ。
学部は、高校三年時に当時第一志望であった法学部に絞ることにした。
大学受験参考書、両親と当時の彼女からの了承、受験大学の決定。
大学に在籍しながら、再受験をするすなわち仮面浪人の準備は完全に整った。当時しりぼうの見立てでは、前期には大学の授業を取りながら、単位を少し獲得をする。後期は、一切大学に行くのをやめ受験勉強に専念する。
そのようにしりぼうは計画を立てた。
しかし、人生は予定通りにはいかない。「大人の世界」では、よく言われる。
人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして、まさか!である。
高校卒業ばかりの当時18歳のしりぼうもどこかでそんな言葉を聞いたことはあったが、身に覚えもないし、わが身に降りかかるとは思いもよらなかった。
再受験を決したしりぼうに次々と乱気流が襲い掛かる!