緑信号を渡る - どこのドイツだ!

在独歴4約年!思想の飴細工師が書き下ろす!

仕事と外国語

仕事中、イギリスから電話あった。
 
ドイツ人同僚が受電。彼はかなり英語が流暢だと思うが、電話を切った後、すぐさまこう言った。
 
「これぞ、ネイティブスピーカーの英語だな。正直、何を言っているか、全く分からなかったよ。」
 
意外な発言に驚くのと同時にもっともな事だなと納得。
 
なぜかって、ドイツ人は割と英語ができると言えでも、それはあくまでも日本人との比較であって、言っても所詮、彼らにとって英語は外国語に過ぎない。
 
ドイツ人が英語を話す時、実は結構緊張しながら、あくせくしながら話しているのが気づけるようになった。
 
ドイツ人が、ドイツ語で話をしている時のお気楽さと英語を話している時の緊張感を観察できるだけの自分の余裕が生まれつつあるということかな
 
それとも、自分の英語力が僅からながら向上しているってことかも。それは単なる希望的観測だけど。確かに、ネイティブスピーカーと英語で話をするとかなり緊張する。酷く疲れる。
 
他方で外国人の英語はかなり理解しやすい。使われる単語や語彙に限りがあるあらだ。
 
 
僕の職場はほぼドイツ人だけだ。もちろん、日系企業相手の仕事だが、それでも、担当者レベルになると、ドイツ人だ。そうすると日中はドイツ語漬けである。当たり前の事だが、そりゃ仕事終わったらクタクタになるハズだわな、と改めて思った。
 
ドイツ人に囲まれながら仕事って最高の環境じゃん!って言い方される時あるが、いやマジでキツい、時がある(というか、しょっちゅう)。
 
ドイツのジョークや言葉遊びは当然の如くたいてい理解できないし、自分が経験したことの無いことをドイツ語で説明されるのは、母語の時より3倍エネルギーと時間を使う。
 
おまけに説明を散々されたあげく、まだ完全に理解できないこともある。仕事の事だとかなり凹む。
 
それゆえ、自分の中で疎外感というか孤立感を生み出してしまうこともしばしばある。あとは、自分の語学力の無さへの絶望感。これ日常。
 
原因は自分でも分かっている。言語に対する努力量に対して、見返り(結果)を求めすぎているってね。言語学習には単純に時間が必要。でも、思うように伸びない言語力に対して、徒(いたずら)に時が過ぎてしまったという焦燥感も同時に持ってしまうのが一番厄介なところ。
 
投下した時間や努力量に対する諦念と期待の交錯が、外国語学習でいつも考えさせることだよね。
 
もちろん、そうは言っても日本で日本人に囲まれて働くより随分気楽なのだ。
 
でも、そういうことを言うと、やっぱりドイツの職場で良かったじゃん!って話をまとめられかねないのだが、いや、ここで言いたかったことは、海外で現地人と働くってそんな簡単な話ではないんだよってところ
 
間違いなく言えることは、フリー素材に出てくるようなこんな職場は有り得ないってこと。
 

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いやいや、たいていの日本人は、ペコペコ、ヘラヘラしているからさ。もちろん、自分もその一人ね。
  
で、とりとめもない記事になってしまったんだけど、何で口語体で書いた!?って意外と書きやすいし、読み手にも僕の心の躍動感を読み取りやすいんではないかと想像している。
 
たまにこんな感じで書くかもしれないってことで、今日は終わり!ちなみに、帰宅時の電車で全て書き終えたよ。ではチャオ!