私の学歴 ~第一章:プロローグ~
学歴と聞くと、否定的な文脈で捉えられる場合が少なくない。例え
しかし、ここでいう学歴とは、学業の履歴として捉える。すなわち 、どのような大学へ行って、何を専門にしたかということを意味である。
言い換えれば、単なる大学の歴史だ。
しかし、単なる学歴といえでも、他の人と比べて異なる学歴であれば、それは語るに値する歴史になりうる。
誤解を恐れずに言えば、私しりぼうの学歴はかなり珍しい。
珍しい学歴であるならば、それは語るに値するのではないかと思う。いや、少なくとも私しりぼうが語りたい。
統計は取っていないが、学生10 00人いても私のような学歴の持ち主はいないと思う。
ズバリ簡単に紹介する。
・6年間で三つの国立大学生活
・三種の入学試験
・三つの専攻
(情報学科→法学→ジャーナリズム)
もし、興味があれば、このまま読み進めて頂きたい。
予め断っておく。珍しい学歴であるからと言って、優秀であるという意味では全くない。自惚れや自慢でもない。それでも鼻持ちならないというのであれば、これ以上は読み進めることをお勧めしない。
ここで伝えたいこ とは、学生生活とは画一的ではなく、こうあるべきだというお手本 などないという事である。私の大学生活の紹介を通じて、私 しりぼうの思想をより深く伝えられればと思う。
なぜならば、私の生き方や考え方は、この大学生活を通じて、形成された部分が大きいからである。
なぜならば、私の生き方や考え方は、この大学生活を通じて、形成された部分が大きいからである。
ところで、以前からこの話題をどこかで、取り上げたかった。しかし、卒 業をして間もなくでは、関係者が特定される可能性が高いし、自分自身や周りの人に何かしらの影響を与える可能性がなくもなかった―大層な話ではないが。
しかし、大学生活からずいぶんと時間が経ち、思い出となりつつあ る。いよいよ、この話題をを取り上げる時が来た。自分としては、積年の思いが詰まったテーマである。
(2012年8月 東京都新宿御苑にて筆者撮影)
第一章 プロローグ
私しりぼうの高校は、いわゆる進学校であったため、高校卒業後は、大学への進学を希望し ていた。ただ、家庭の金銭的負担から、両親から、進学の場合、国立大学のみとの「縛り」を言われていた。
とはいえ、兄も同じ条件で地元国立大学に進学していたし、特にそ の「国立縛り」には違和感や疑問は無かった。
さて、大学入試であるが、高3の一月に、多くの進学希望者と同じように、大学入試センター試験を受け た。結果は、トータルの得点率で、72%程度であったと思う。
第一志望は、某国立大学法学部であった。そのボーダーが、77% ぐらいだったので、私の得点率では、挑戦はできるが、合格は厳し そうだった。
そこで、地元の国立大学にランクを落とす事で、「絶対合格安全圏」を確保 することにした。
なぜ、挑戦をしなかったのかという理由については、主に二つあった。
一つ目は、浪人を避 けたいという「恐怖心」と、二つ目は、当時付き合っていた彼女から、遠くへ離れたくないという「青春的」理由であった。
今考えてもかなり初々しい決断だ。しかし、すでに相手にパートナーがい る等の理由で、恋人を手に入れられない時の辛い感情が恋であるよ うに、一度、手に入れた恋人を失う恐怖もまた恋なのである。
脱線をした。
さて、ランクを落とした大学について述べる。私が志望をしたのは、地元の地方国立大 学で、コンピュータや数学を専門にする「情報学科」であった。
何故この「情報学科」を選んだか、気になるであろう。それは、単純である。当学科は、全国あまねく国立大学の学部、学科のうち珍しい ぐらいの低偏差値であった。予め断っておくと、偏差値だけで大学 の価値を決めるのは馬鹿げている。
当学科は、偏差値50スレスレで、私の得点率72%であれば、絶対合格安全 圏であった。事実、のちのちの成績開示で確認したが、ぶっちぎり の「トップ当選」であった。
また、当大学や学科に入学して、楽しく大学生活を送っていた知り合いを目 の当たりにしていたのも地元国立大学の「情報学科」を選んだ大きな要因であった。
あとは、現金な話、地元で地元の国立大学に行くことは、この片田舎では、かなり評価 されているのも知っていた。
それ故、自分の専攻として、「情報学科」を選んだのである。
確かに、コンピュータや数学を選考にする「情報学科」は、当初勉強したかった法学とは全くかけ離れた専門ではあった。しかし、当初第一志望にしていた法学といえども、はっきりとした理由があっての志望というより、ぼんやりと何となくで選んだに近かった。
思うに、大学入試前に、自分のしたい専攻を明確に分かって、またその通りに大学で学業 を修める人がどれくらいいるのだろうか。
個人的な印象で申し訳ないが、大多数(特に文系)の学生は、何となく大学名や学部間偏差値で 、専攻を決めているのではないだろうか。
しかし、それでも、「大学 生活は楽しかった。」として、留年や落第はあろうが、多くの人は何事もなかったかのように卒業をしていく。
自分もそのような一人にきっとなるだろうと思いながら、地元国立 大学の「情報学科」へ進学した。
しかし、実際の大学生活は全く違ったものであった。「情報学科」 への進学は、私にとって、地獄そのものであった。
次章では、その「地獄」の続きを語りたいと思う。