外国語学習に関する3つのウソ
今回は外国語を勉強している際に、よく耳にすることを取り上げる。また、それが正しくないと指摘したい。
全く面白くも何とも無い無味乾燥な書き出しをする。近年、グローバル化が 叫ばれている。企業の海外展開、外国人観光客の増加、 英語教育の早期化などの話は特に真新たらしくはない。
まず、グローバル化の文脈で避けて通れない要素の一つは、英語だろう。 なぜなら、グローバル化とは日本だけではなく他の国々との関わり合いが増すからだ。もちろん、多くの場合、コミュニケーションの基本になるのは、まず第一に英語だろう。その点は、あまり異論はないと思う。
それに従って、英語の重要性が高まる。メディアや巷では、 英語力を伸ばすために様々な方法論で溢れている。 駅前留学は既に古い言葉になりつつあり、 Skypeを使ったオンライン英会話、格安のフィリピン留学、 聞き流すだけのスピード○ーニング、YouTubeでの教材、 街中で白人を見かけたら、とりあえず話しかけろ何て暴論もある。
私は、ドイツに暮らして3年になる。日々、 ドイツ語を多かれ少なかれ勉強している。 未だドイツ語力は発展途上のレベルだ。しかし、 3年という学習歴で、 言語の学習に対して幾ばくか意見を持っている。
そこで、今回は、 外国語学習に関して、巷でたびたび耳にする言説を否定したい。いつも通り、これは私の実体験のみ基づくので、一般化はできないことを予め補足する。
(2014年4月某日 埼玉県川口市にて 筆者撮影)
1.現地神話
すでに、以前のブログ「留学失敗3つの原因」で述べたが、改めて掻い摘んで説明する。
現地神話とは、自分の学んでいる言語が、母語として話されている国に住めば、 自ずとその言語力が上昇することを指す。
例えば、あなたが英語を学んでいるとする。次に、カナダのバンクーバーで2年間生活をする。語学学校に通う、レストランで働く、ただ、ワーキングホリデーを楽しむでもよい。すると、2年後はあら不思議、カナダ人の友達いっぱいで、ペラペラに英語を操る。
そして、あなたはこんなことを言うかもしれない。やっぱり言語ってのは、日本で教科書を使って勉強するんじゃなくて、現地の英語漬けの生活の中で、体で覚えていくんだねっと。
神話は、神話の世界だけで真実となる。現実は神話になりえない。はっきり言おう。上で述べた例は、現実世界では起こりえない。私はこれを現地神話と呼ぶ。
科学的根拠は詳しくないのでここでは取り上げない。ただ、私の感覚からして、16歳以下の年齢で、更に、数年間外国に住めば、 上記の現地神話はある程度成り立つのではないかと思う。 彼らは外国語を学ぶために語学学校には通わない。 教科書や文法書無しで、日常生活で言語を身につけていく、 と言われる。
例えば、駐在員として、アメリカに家族で引っ越しをすることになった。現地で生活するものの、父親と母親の英語力は全く伸びない。しかし、アメリカ人の子供たちが通う幼稚園に5歳の子供を入れたら、1年で両親を超えてペラペラに英語を話すようになった。そのような子供の語学に対する吸収力を何度も聞いたことがあろう。
しかし、成人してしまうとそうはいかない。 ドイツ在住3年の経験から言えば、「 ブロークンな人は何年経ってもブロークン」である。
一人だけならこのような事は言わない。 何度も何度もそのような人を見たことがあるからだ。たとえ、 10年間、ドイツに住んでいてたとしても、未だにボロボロのドイツ語を使う人は たくさんいる。英語圏の国における英語でも同様だろう。
「学びたい外国語が話されている国に住めば、 自動的にその外国語をペラペラに話せるようになる」は、 絶対に有り得ない。
以前の記事でも書いたが、再度、言おう。
現地とは、事前に入念な準備をし、 言語を学びたいという意思と実際に学ぶ行為を伴う人間にのみ、 最適の環境になりうる。
2.「日常会話ぐらいできるようになった?」
海外に住んだ事がある人なら必ず一度はこの質問を受けたことがあ るだろう。特に、 日本に帰ったときに、家族や友人から嫌と言うほど、 必ずこの質問をされる。鉄板中の鉄板の質問だ。
予め断っておくと、 この質問をしてくる人を非難しているのではない。 会話の一つとして、 何気無く質問をしているのも十二分に理解している。
まずは、日常会話の意味だが、 スーパーのレジでやり取りができる、 レストランで注文やお会計ができる、道を尋ねる、 説明するを意味するなら100%Ja( ドイツ語のハイを意味する)と答えることができる。
しかし、もし、日常会話をドイツ人に囲まれてあらゆる話題が飛び交う、「フリートーク」を意味するのであれば、これほど高度なことはない。この場合、「日常会話ぐらいできるようになった?」は、皮肉な質問にしか聞こえない。
このフリートーク形式の「日常会話」は、一生かかっても到達できない最高峰の言語レベルを意味する。
3.文法は必要ない
外国語学習において、重要なことは何か。結論を述べれば、人それぞれだ。それでは、この項でこれ以上述べることはなくなる。
では、少し切り口を変える。あなたが、外国語を学習する目的とは何か。それが明確になれば、何が重要なのか、少しは明確になるかもしれない。なぜならば、目的は重要であるからである。
私が外国語(とりわけここではドイツ語)を学習する目的は、ドイツ語を話す人々と意思疎通を図ることである。意思疎通とは、互いのいわんとしていることをきちんと理解することが前提であろう。
では、互いのいわんとすることをきちんと理解するには、どのような要素が必要だろうか。答えは、様々な要素だろう。ここで、私は一つ押したいことは文法の正しさである。
英会話に当てはめた場合、私は、以下のような根性英会話論を必ず一度は、耳にしたことがある。
英会話で文法間違いを気にしてはいけない。話して、話して慣れていくのが一番。語学学校でも、外国人は、文法が間違ってもとにかく主張し続けている。しかも、それを先生は理解して、きちんとコミュニケーションがとれている。
ここでも、以前に紹介した「母語置換法」を適用する。
母語置換法とは、外国語で何らかの問題がある場合、それをあなた
の母語に置き換えてみる。そして、その状況をあなたは想像してい る。母語の目線から、問題の深刻さと解決策を探る方法である。
ある二つの日本語を文章を紹介する。一つは正しい文章である。一方で、もう一つはいくつかの文法事項が欠けている文章である。ただし、文の内容は同じとする。
ア)彼は、空に向かって三本の矢を放った。そして、矢は数秒後地面に落ちた。
イ)彼、空、三匹矢打った。そして、矢すぐ地面に落ちる。
どう思われたであろうか。ちなみに、イ)で抜けている文法事項とは、助詞の欠落、助数詞の誤用※1、時制の不一致である。
日本語を母語とする人であれば、文意は理解はできると思う。しかし、このような文章を数秒だけでなく、10分、20分あるいは数時間、聞いていた場合どうだろうか。
はっきり言えば、私が聞き手であれば、かなり疲れる。そして、文法の不確かさがもたらす最も大きな弊害は、発言内容の信憑性に疑いをかけられることである。
例えば、こんな発言をドイツ人からされたときに、あなたは発言内容をきちんと信じることができるだろうか。
ウ)ドイツ、休み働いていて30日個いるね。それ、日本違う。
それよりも、
エ)ドイツでは、有給休暇が30日間あります。それは、日本と異なります。
の方がよっぽど内容に信憑性があるのではないだろうか。
ただでさえ口数の少ない日本人が文法も間違っていたらどうなるか。私は、想像しただけでも身震いがしそうである。
もちろん、別の項で文法の重要性を説明する予定である。しかし、内容の信憑性の確保は、文法を学ぶ大きな動機にはなると思う。そして、安易な文法不要論はウソだと否定したい。
以上が、私が日々耳にする外国語学習に関する3つのウソである。もちろん、人それぞれ感じ方はあるだろうが、上記の3つ以外にもウソがある!というような人は是非、コメントをして頂きたい。
※1 助数詞:接尾語の一。数量を表す語につけて、数えられる物の性質や形状などを示す。「ひとつ・ふたつ」の「つ」、「一本・二本」の「本」、「一枚・二枚」の「枚」などの類(Goo国語辞典より)。