新・勉強法3原則
私は社会人になってから国家試験を受けたことがある。 外務省が毎年実施する外交官試験である。
試験は筆記試験と面接試験の二本立てであり、 筆記試験を突破した場合、面接に招待される。
試験結果を述べると、筆記試験=合格、面接試験=不合格で、 外務省に入省することはできなかった。
しかし、筆記試験自体は突破したので、座学の「お勉強」 方法自体は突拍子もなく、誤っていた訳ではないだろう。
今回は外交官試験の勉強の際に気をつけていた事を述べる。 とりわけ、 自身が最も机に向かって勉強をしたと思っている大学受験時の勉強 方法と比較をしたい。
(2011年9月 アメリカ合衆国某所にて筆者撮影)
1.MAX7時間の原則
私しりぼうが外交官試験の勉強をしていた時、 会社を退職し背水の陣で臨んだ。
働く必要がない訳であるから、 理論上は丸一日勉強時間に充てることができる。
大学受験をしたことある人間なら容易に想像できるが、「 受験の天王山」と呼ばれる高三の夏休み期間であれば、 1日あたり12時間以上勉強をすることも珍しくない。-もちろん、12時間常に高い集中力を持続していたかは別であるが。
実際にしりぼうもその長時間労働者(?)の1人であった。
しかし、社会人になってからの外交官試験では1日で最大7時間しか勉強をしなかった。 理由は幾つかある。
一つ目は、 10代の高校生とは違い体力がないためずっと勉強ができない。 二つ目は、既に述べたが、100%集中した状態で勉強し続けるには限界がある。 三つ目、7時間でもすでに充分長い勉強時間である。
ちなみに私しりぼうの1日の割り振りは、午前=2時間、 午後=3時間、夕食後=2時間で勉強をしていた。
もちろん、大切な事は何時間勉強をしたという量的問題ではなく、 何を勉強したという質的問題である。
2.ジプシーの原則
ジプシーとは、ヨーロッパで迫害をされ、各地を転々とした流浪の遊牧民である。ジプシー式学習法とは、一定の場所に留まることなく、移住をし続けていたこの民に由来する。
私しりぼうは、ジプシー式学習をこう定義する。
特定の場所に留まって長時間勉強するのではなく、一定の時間ごとに勉強場所を移動すること。新鮮な牧草を求めて、 常に移住をする遊牧民「ジプシー」を由来とする。
移動は、30~90分間ごとに実施する。 移動先の距離や時間にもよるが、大学図書館、県立図書館、 市立図書館、公園、喫茶店、ファミレス、コーヒーチェーン店など。
たとえ家で勉強をする場合であっても、自分の部屋、居間、台所、 トイレ、はたまた車中などやはり一定の場所に留まらない。
理由は幾つかある。一つ目は、新しい場所に行くと新鮮であり、新たなやる気も生まれやすい。 二つ目、同じ場所にいると慣れて家のようにダラケる。三つ目、同じ姿勢で勉強をし続けると、年齢故に、身体のどこか一部が痛くなる-首、肩、腰、足など。
3.強制終了の原則
外交官試験勉強の時には、必ず一日3食は焦らずにゆっくりと取った。休憩の回数も、午前も2時間の勉強の間にも20-30分の休憩を1回、 午後には2~3回、夜も同様の休憩を入れていた。また、 一週間のうち1日は完全休暇とした。疲れていないと思っても、 強制的に休みとした。
意外にも、適度な休みを取ることは、 中途半端に常に勉強をし続けるより難しい。そして、 中途半端に勉強をし続けることは、 肉体的にも精神的にも害をもたらす。
一日だけあるいは数日間だけぐらいであれば、騙し騙しで、10時間を超える長時間勉強をすることはできる。しかし、その後に必ず反動が来る。
適度な休憩無しで、何かを継続することはできない。 いつかは必ず疲れる。理性的な人間であれば、 納得のいく話である。
それにもかかわらず、なにゆえ人は、 適度に休憩を取らずコンを詰めて勉強をするのだろうか。 少なくとも私は大学受験時代にはそういう「非理性的な」人間であった。
失敗をした際に、「嗚呼、あの時にもっとしておけばよかった」 の後悔を避ける為であろうか。はたまた、 これだけ頑張ったのだから、失敗をしたとしても(自他ともに) 許容されるであろうという「頑張った賞」の欲しさ故か。 あるいは休憩無しで勉強をしている時の「ハングリー精神」 に酔いしれているだけなのだろうか。
適度な休憩は人それぞれである。しりぼうは、 上で述べたような休憩の取り方をした。しかし、 これとは異なるやり方でも全く問題無い。
重要なことは、 勉強方法とは適切な休暇の取り方も含めているという事である。
最後に述べると、あくまでも勉強方法は個人差がある。好きな食べ物、嫌い性格、得意なスポーツ、お気に入りの観光地など人の好みは十人十色である。それゆえ、上記勉強法の3原則は、ただの一意見に過ぎない。本当に単なる参考材料にすぎない。
しかし、忘れてはいけないことは、勉強方法も個人差があるということである。また、個人差があることは当然許される。それは、かつてしりぼうは、大学受験時代に「勉強をするには、必ず机に向かわなければならない」との強迫観念があった。
しかし、重要なことは、自分の気に入った勉強方法を見つけ出すことである。そして、勉強方法の開拓や分析も立派な勉強の一部である。
あくまでも勉強方法の一例として、今回の記事が役に立てれば何よりも幸いである。