私の学歴 ~第四章:計画破綻~
私の学歴 ~第三章:脱獄計画~ の続きである。
予定は未定。
それは予め計画を立てたとしても、 直前もしくは計画進行中に変更がありうる。それ故に、 予定はその通りに実施できるか分からない=未定である、となる。
当たり前だが、それほど人生といものは、 様々な不確定要素で成り立っているのだ。
しりぼう脱獄計画においても、 予想だにしなかった事が次々に起こった!
第一に、精神的な問題が我が身に降り掛かった。
当初の計画では、前期は大学へ通い続け、 せめて登録をした授業ぐらいの単位を取得するつもりであった。
しかし、全く大学の授業に身が入らないのである。 何も集中できない。
それは当然である。 こうして私しりぼうが大学の講義を受けている間に、他の大学受験生 は、着々と受験勉強をしているからだ。
焦り、戸惑い、不安、様々な負の感情が自身を渦巻いた。
こんなところ(大学)で、油を売っていてよいのだろうか。
それは、早くも計画が破綻していかけていることを意味した。 時は、再受験の決心をした5月末から1、 2週間経った6月初旬のことであった。
次第に講義に出席する日数が減ってゆき、そして、 遂にしりぼうは「グレた」。
6月某日、遂に「不登校」の完成である。
二つ目は、は身体的な問題であった。
6月から登校拒否をし、受験勉強に専念していたが、 実は中学生向けの塾講師のアルバイトをしていた。
なぜならば、 国立大学の授業料以外は両親から支援が無かったため、 多くは必要ないが、いくらかのお金は稼ぐ必要があった。
7月には大学の前期試験が終わり、夏休みに入った。 アルバイト先の塾では夏期講習が始まり講師業も忙しかった。 かつ自身の受験勉強も怠ることはできなかった。
しかし、突如、ある病にかかった。
それは、「自然気胸」である。
自然気胸とは、肺を構成する肺胞の表面に穴が空き、 そこから肺の空気が抜けてしまう。その結果、 脱気した空気が肺を圧迫して、痛みを伴う。
今でも鮮明に覚えているが、夏期講習も終わり、ある日の夕方、 アルバイト先で生徒の回答を添削していた。
右胸が痛い。
若干、呼吸がしずらく、右肺全体に鈍痛が生じた。 余りにも長く続くので、 塾長に相談したところ帰宅するべきと言われた。
翌日、兄に整形外科に連れて行ってもらい、レントゲンを撮ってもらった。
診断は「自然気胸」、右肺は半分ほどに萎んでいた。 処置ができる病院への「紹介状」ももらい再度、 転院先の病院に行った。
即入院、即日ドレーン処置であった。
後々詳しく語ることになるが、自然気胸こそが最大の障害となる。
最後に、当時付き合っていた彼女との交際関係も限界であった。
当時付き合っていた彼女から言われたことは、「せっかく、 お互い大学生になったのに、自由に遊べる時間が無い。 他のカップルは楽しく大学生を楽しみながら付き合っている。 私は出来ていない。」
はい、十分に理解できます。
しかし、私しりぼうにはそのような彼氏にはなれない。 既に述べたように大学への嫌気と身体的な不安から、 はっきり言って、彼女との関係維持は負担でしか無かった。
希望の学部と大学に入り、 大学生活を謳歌している彼女には自分は相応しくないと思った。 むしろ、妬みの感情があったことも否定しない。
そこで、お互いが不幸になるから、解消をしようと提案した。
大学、健康、交際、あらゆる面で変更が生じた。しかし、 それでも、大学を変えるという意思は変わらなかった。むしろ、 この非常状態を脱するには、「大学変更」しかない、 とますますこの手段にのめり込むこととなる。