緑信号を渡る - どこのドイツだ!

在独歴4約年!思想の飴細工師が書き下ろす!

外国語学習あるある三つ

私しりぼうはドイツに来て早4年になる。長期滞在を伴う一時帰国を2回したため、厳密にはきっちり4年間、ドイツにいた訳ではない。とはいえ、日本帰国時にもドイツ語の学習は続けていた。
 
であれば、今回のテーマに差し支えることは全くないだろう。
 
すでに他の記事でも述べているが、私しりぼうが真剣に本腰を入れて語学を勉強し始めたのは、四年前にドイツに来てからだ。全くドイツ語を話せないゼロの状態から始まり、四年経った今、ある程度は自信を持ってドイツ語を使えるようになった。
 
ここでは、外国語を学習する中で、しりぼうが体験した外国語学習にありがちなことを紹介したい。
 
外国語を学ぶ人に少しでも共感を与えることができれば幸いである
 

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現地語ができないことによる3つのデメリット

先月、休暇中に家族でフランスのパリに行った。友人宅で数日間宿泊をさせてもらいパリを満喫した。短い数日の滞在ではあったが、観光地、スーパー、レストランなどを訪れることができた。
 
今回のテーマは、外国に住んでいてその現地語を話せない時のデメリットを紹介する
なぜならば、滞在時にフランス語ができないことで不自由な思いをしたからである。また、同時に4年前にドイツに来た際に感じたドイツ語ができないことによる苦労を思い出した。
 
今回は、海外の現地で話されている言語ができないことによってもたらされるデメリットを紹介する。それらを通じて、なぜ現地語を学ぶべきなのかを間接的に示すことができるだろう。
 

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ドイツ人のジョーク3つ

以前の記事「ドイツ語会話盗聴ー3つの場面ー」でも書いたが、今回はドイツ人のジョークに焦点を当てたい。どうやら、ドイツ人は真面目でユーモアのセンスが無いと思われているらしい。そんなユーモアが無いドイツ人に対して、英国紳士が放つ辛辣なジョークがある。

 

この世の中で最も薄い本は何か。

ーそれは、ドイツ人のジョークを集めた本である。

 

 

しかし、ドイツ人自身がこのジョークを言うので、イギリスで本当にこのような事が言われているのかは、しりぼうには分からない。むしろ、実生活を通してみれば、全く逆で、ユーモアたっぷりのドイツ人独特のジョークをしばしば耳にするー理解できるかは別の話だが。

 

今回は、私しりぼうが思わずクスッとしたいかにもドイツ人らしいジョークを紹介する。これが理解できれば、あなたはドイツ人のユーモア感覚をすでに持っていることになる。

 

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日本帰国時の3つの違和感について

現在ロシアにてサッカーのワールドカップが開催されている。前回覇者であるドイツは予選リーグを敗退してしまった。とはいえ、しりぼうはスポーツ全般が苦手でかつ興味もない。サッカーに関しても同様である。

 

というわけでもちろんここでの話題はサッカーやスポーツではない。ドイツに来て約4年が経とうとしている。なぜ明確に滞在年数を覚えているかというと、前回ワールドカップでドイツが優勝した年の夏に渡独をしたからだ。

 

さて、今回は日本に一時帰国したときに感じた違和感を紹介する。いつも通り個人の感想に過ぎないので、一般化はできないだろうが、海外に長く住んでいた人には理解できるかもしれない。

 

もちろん、日本の批判めいた書き方になるが、そうではなく、ある意味ドイツの生活に慣れ過ぎてしまい、日本で住んでいた時には当たり前で感じることもなかったことが、やたら過敏に感じるようになっただけである。

 

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新・勉強法3原則

私は社会人になってから国家試験を受けたことがある。外務省が毎年実施する外交官試験である。
 
試験は筆記試験と面接試験の二本立てであり、筆記試験を突破した場合、面接に招待される。
 
試験結果を述べると、筆記試験=合格、面接試験=不合格で、外務省に入省することはできなかった。
 
しかし、筆記試験自体は突破したので、座学の「お勉強」方法自体は突拍子もなく、誤っていた訳ではないだろう。
 
今回は外交官試験の勉強の際に気をつけていた事を述べる。とりわけ、自身が最も机に向かって勉強をしたと思っている大学受験時の勉強方法と比較をしたい。
 

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(2011年9月 アメリカ合衆国某所にて筆者撮影)

ドイツ語の語彙数1万到達して得た事3つ

地上で見る街と高さ100mの展望台から見る街並みは異なる。同じく街であるにも関わらずだ。
 
外国語学習においても同様である。学習単語数を高さに見立てた場合、1万単語を学習することは、そこまで低い展望台ではないだろう。自ずとそこからの「景色」は、「地上」と異なるはずだ。
 
すばり言えば、ドイツ語1万単語を学習したことによって、何を得たのかを説明したい。
 
単語数を計測しながら、コツコツと学習をして、約2年が経った。厳密には、807日(2018年5月1日現在)。
 
ちなみに何故、単語数にこだわるのかを少し説明をしておくと、私しりぼうは、「単語教」の熱心な信者―ややもすれば、狂信者―であるからだ。
 
「単語教」とは、読み、書き、聞く、話すなどの、言語における諸能力の源泉は、単語力(熟語も含む)である、との教義を信じることである。
 
是非はともかくとして、「単語教」については、別の機会に取り上げたい。
 
さて脱線をした。それでは再び本題に入る。

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(2014年7月 フランクフルトマイン川ほとりにて筆者撮影)

日本人だと感じる3つの場面

在独期間が3年半を超えた。もはや、ドイツ生活で、感動をしたり驚いたりすることは少なくなった。とりわけ、ドイツ(初めての外国)に来た当初の熱狂的な感動や日本では起こりえない酷いサービスに、いちいち目くじらを立てることもない。
 
生活への慣れは、思考の変化を伴う。ドイツ生活に慣れる為には、しばしば日本的な考え方を捨てなければならない。さもなければ、その違いにいちいち腹を立てなければならないからだ。
 
身近な例を一つ挙げる。ドイツのスーパーの店員が愛想が悪かったり、ある品物があるかを尋ねてもぶっきらぼうな返事しか返ってこなかったとする。
 
日本的であれば、スーパーのレジでは店員は常に立ち、恭しくお辞儀をして挨拶をする。客は神であるかの如く丁重に扱われる。
 
確かに、その基準で考えれば、ドイツの店員は無礼に見えるだろう。
 
しかし、ドイツにはドイツの理論がある。「良いサービスを受けたければ、それなりに対価をしはらわなければならない」である。神の如く扱われたければ、高級スーパーや相応のレストランに行くべきだ。
 
確かに、このように海外生活を通じて、人の考え方は変化しうる。しかし、自分の中で(まだ)変わっていないこと、失われていない日本人らしさも同時に存在する。口語で表現すれば、「やっぱり、私は日本人だな」と感じることである。今回はそれらを取り上げる。

私の学歴 ~第二章:獄中生活~

高校卒業後に初めて入った大学生活は、私にとって、地獄だったと前回「私の学歴~第一章:プロローグ~」述べた。以下では、主にその「獄中生活」を取り上げる。

 
さて、では何が地獄だったのだろうか。
 
結論から言おう。

仕事と外国語

仕事中、イギリスから電話あった。
 
ドイツ人同僚が受電。彼はかなり英語が流暢だと思うが、電話を切った後、すぐさまこう言った。
 
「これぞ、ネイティブスピーカーの英語だな。正直、何を言っているか、全く分からなかったよ。」
 
意外な発言に驚くのと同時にもっともな事だなと納得。
 
なぜかって、ドイツ人は割と英語ができると言えでも、それはあくまでも日本人との比較であって、言っても所詮、彼らにとって英語は外国語に過ぎない。
 
ドイツ人が英語を話す時、実は結構緊張しながら、あくせくしながら話しているのが気づけるようになった。
 
ドイツ人が、ドイツ語で話をしている時のお気楽さと英語を話している時の緊張感を観察できるだけの自分の余裕が生まれつつあるということかな
 
それとも、自分の英語力が僅からながら向上しているってことかも。それは単なる希望的観測だけど。確かに、ネイティブスピーカーと英語で話をするとかなり緊張する。酷く疲れる。
 
他方で外国人の英語はかなり理解しやすい。使われる単語や語彙に限りがあるあらだ。
 
 
僕の職場はほぼドイツ人だけだ。もちろん、日系企業相手の仕事だが、それでも、担当者レベルになると、ドイツ人だ。そうすると日中はドイツ語漬けである。当たり前の事だが、そりゃ仕事終わったらクタクタになるハズだわな、と改めて思った。
 
ドイツ人に囲まれながら仕事って最高の環境じゃん!って言い方される時あるが、いやマジでキツい、時がある(というか、しょっちゅう)。
 
ドイツのジョークや言葉遊びは当然の如くたいてい理解できないし、自分が経験したことの無いことをドイツ語で説明されるのは、母語の時より3倍エネルギーと時間を使う。
 
おまけに説明を散々されたあげく、まだ完全に理解できないこともある。仕事の事だとかなり凹む。
 
それゆえ、自分の中で疎外感というか孤立感を生み出してしまうこともしばしばある。あとは、自分の語学力の無さへの絶望感。これ日常。
 
原因は自分でも分かっている。言語に対する努力量に対して、見返り(結果)を求めすぎているってね。言語学習には単純に時間が必要。でも、思うように伸びない言語力に対して、徒(いたずら)に時が過ぎてしまったという焦燥感も同時に持ってしまうのが一番厄介なところ。
 
投下した時間や努力量に対する諦念と期待の交錯が、外国語学習でいつも考えさせることだよね。
 
もちろん、そうは言っても日本で日本人に囲まれて働くより随分気楽なのだ。
 
でも、そういうことを言うと、やっぱりドイツの職場で良かったじゃん!って話をまとめられかねないのだが、いや、ここで言いたかったことは、海外で現地人と働くってそんな簡単な話ではないんだよってところ
 
間違いなく言えることは、フリー素材に出てくるようなこんな職場は有り得ないってこと。
 

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いやいや、たいていの日本人は、ペコペコ、ヘラヘラしているからさ。もちろん、自分もその一人ね。
  
で、とりとめもない記事になってしまったんだけど、何で口語体で書いた!?って意外と書きやすいし、読み手にも僕の心の躍動感を読み取りやすいんではないかと想像している。
 
たまにこんな感じで書くかもしれないってことで、今日は終わり!ちなみに、帰宅時の電車で全て書き終えたよ。ではチャオ!

私の学歴 ~第一章:プロローグ~

学歴と聞くと、否定的な文脈で捉えられる場合が少なくない。例えば、その人の能力に重きを置かずに、大学というの看板でもって、社会的に評価する。それは家族や友人からの評判だけでなく、就職や昇進にも左右するなど、その手の話は何ら真新しくない。

 
しかし、ここでいう学歴とは、学業の履歴として捉える。すなわち、どのような大学へ行って、何を専門にしたかということを意味である。
 
言い換えれば、単なる大学の歴史だ。
 
しかし、単なる学歴といえでも、他の人と比べて異なる学歴であれば、それは語るに値する歴史になりうる。
 
誤解を恐れずに言えば、私しりぼうの学歴はかなり珍しい。
珍しい学歴であるならば、それは語るに値するのではないかと思う。いや、少なくとも私しりぼうが語りたい。
 
統計は取っていないが、学生1000人いても私のような学歴の持ち主はいないと思う。
 
ズバリ簡単に紹介する。
 
・6年間で三つの国立大学生活
・三種の入学試験
・三つの専攻
(情報学科→法学→ジャーナリズム)
 
もし、興味があれば、このまま読み進めて頂きたい。
 
予め断っておく。珍しい学歴であるからと言って、優秀であるという意味では全くない。自惚れや自慢でもない。それでも鼻持ちならないというのであれば、これ以上は読み進めることをお勧めしない。
 
ここで伝えたいことは、学生生活とは画一的ではなく、こうあるべきだというお手本などないという事である。私の大学生活の紹介を通じて、私しりぼうの思想をより深く伝えられればと思う。

なぜならば、私の生き方や考え方は、この大学生活を通じて、形成された部分が大きいからである。
 
ところで、以前からこの話題をどこかで、取り上げたかった。しかし、卒業をして間もなくでは、関係者が特定される可能性が高いし、自分自身や周りの人に何かしらの影響を与える可能性がなくもなかった―大層な話ではないが。
 
しかし、大学生活からずいぶんと時間が経ち、思い出となりつつある。いよいよ、この話題をを取り上げる時が来た。自分としては、積年の思いが詰まったテーマである。
 

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 (2012年8月 東京都新宿御苑にて筆者撮影)